(1)位 置
東経140度22分、北緯38度27分に位置し、南に白水川、西に最上川が流れる。地域の東南角は海抜102mの地点で、ゆるやかな傾斜を持った扇形の平野である。長瀞地区と松沢地区からなり、東西4km、南北5km、面積は895㎢である。
(2)沿革と概要
本校は、今年で創立146周年を迎える。創設当時は鈴木清音氏宅の御御堂で勉学に励み、明治13年12月より昭和55年2月まで、かりがねの城跡※(現長瀞公民館)に108年間の蛍雪を重ねてきた。そして、昭和55年2月より現在地に移転している。長瀞・松沢両地区の世帯数は700戸余り。稲作を中心に養蚕や果樹栽培の盛んな農村地帯だったが、高度成長の過程で会社員となり兼業農家が大部分を占めるようになった。保護者は会社員が多い。三世代同居家族が多く、児童を祖父母に託し、両親が共に働きに出る家庭が多い。また、国際化や産業構造の変化に伴い、外国人の母親や国内遠隔地への単身赴任、海外赴任・海外への長期出張が見られようになった。
校歌にも歌われる「かりがねの城跡」とは、応永21年(1414年)、第四代山形城主修理太夫「最上満家(斯波兼頼の孫)」が晩年、職を子の頼家に譲り隠居し、西根氏の廃城を修理して居城とし、現在地に移転したのが現存する城跡の前身である。